第一号機、苦難の開発秘話

ヒントは幼い頃に見た脱穀機
“1,000度の爆発”を乗り越えるカッターを作る

現地調査を通じて、やるべきこと、そして作るべき地雷除去機の姿が徐々に見えてきました。

ベースとなるのは、市販されている日立建機の油圧ショベル。そのアームの先端に、アタッチメントとして高速回転する金属の刃(ロータリーカッタ)を取り付けます。そして、まずは地雷原に生い茂る草や木を伐採する作業を行い、ロータリーカッタ先端に付属した熊手のような「レーキグラップル」で散乱している草木を除去。さらに、アタッチメントを交換することで、農地整備や道路整備、井戸掘りまでできるというイメージが固まりました。

本体の組立

ロータリーカッタの組立

ドラムの組立

ロータリーカッタ完成

このロータリーカッタのヒントとなったのが、開発プロジェクトを立ち上げた頃に雨宮の脳裏に浮かんだ、あの脱穀機。いくつもの棒がついた「こぎ胴」がクルクルと回り、稲を当てるだけで稲穂が落ちる仕組みで、かつてはどこの農家にもあったため、雨宮は子どもの頃によく見ていました。このこぎ胴の螺旋状のつくりが、地雷原の土を効率よく掘り返してくれるはずだと考えたのです。

しかし、地雷除去を行うロータリーカッタの開発には、技術的な難問が山積みでした。

ひとつは、「深さ」。通常、地雷は地面の下5~10センチのところに埋まっています。しかし、地盤がゆるく、草木が生い茂るカンボジアの場合、ジャングル化してしまった木の根の下に地雷が埋まった状態になり、取り除くためには根を抜かなくてはなりません。そのためパワーも必要になり、カンボジアの土地に合ったトルク、回転、旋回スピードの調整は繊細さを極めました。

成長した潅木(かんぼく)や太い根が地雷除去の妨げに

回転スピードを増したカッターで潅木を切り倒す

そしてもうひとつが「温度」。地雷の爆発温度は800~1,000度にもなり、一般的なカッターブレードを使えば、刃が一発で壊れてしまいます。爆発の衝撃への耐久性に加え、潅木(かんぼく)や竹、石や岩盤に対する耐摩耗性などを備えた刃を作るためには、素材となる金属合金の配合を細かく変える必要がありました。

対人地雷(PNN2)が爆発した瞬間、温度は800~1,000度にも

強度を調整したロータリーカッタは爆破の後でも損傷なし

ここで難しいのは、ただ“硬く強く”すれば良いというわけではないこと。そのコツを、雨宮は「地雷と闘ってはいけない」と表現しています。野球でボールを捕るときに腕をスッと引いて衝撃を吸収するように、いかに爆発の力と爆風を逃がしてあげられるか。それを実現するために、柔らかすぎず硬すぎず、絶妙なさじ加減のカッターブレードが必要だったのです。

プロトタイプヘの喝采とさらなる課題
耐爆テストヘ向けて改良を重ねる

開発を始めて4年あまりが経った、1998年4月。数々の失敗を乗り越え、第一号機のプロトタイプがついに完成しました。

長さ20センチのカッター刃40本が地面を掘り起こし、地雷の信管に触れて爆発させるというシステムで、手作業の数百倍の速さで地雷除去ができる自慢の一台です。

自社の敷地近くで聞かれたお披露目会には、国連やカンボジアのCMACの担当者をはじめ、プロジェクトのメンバーやサポートをしてくれた地元の人たちなど、多くの人が集まって、その完成を祝いました。

「これなら、きっとカンボジアの地雷を除去できる」

開発に4年の歳月をかけ2000年に完成した第一号機。

1998年UNMAC(国連地雷対策センター) 調査員来日

これまでの苦労を知るメンバーや多くの人たちが喝采を送るなか、CMACからやってきたひとりの男性が、雨宮にこう指摘しました。

「あなたは実際に地雷原に入ったことがないですね」

「御社の地雷除去機のプロトタイプは、高速回転する刃で地雷を爆発させないまま粉砕していき、その過程でいくつかの地雷は爆発するだろうという想定のもとに設計されている。だが、それは現実味が乏しい。火薬が残った地雷の破片が飛び散ってそのまま残ってしまう危険があるから、すべての地雷を100%爆発させて完全に取り除いたほうがいい―」

UNMACによるオペレーション

1998年CMACスタッフ来日・地雷除去機視察

日々地雷と向き合っている人ならではの、説得力のある言葉でした。

しかし、そのためには、「除去する地雷は100%爆発させる」という想定に設計を変更し、地雷除去機の耐久性・防御性をさらに上げなければなりません。

やっとここまできたのに、まだ足りないのか―。

しかし、プロジェクトメンバーに「断念」の2文字はありませんでした。ロータリーカッタの性能をブラッシュアップし、運転席の防御性を高め、課題を一つひとつクリアしていく日々が続きます。

そして、同年11月、朗報が届きました。実用化に向けてもっとも頭を悩ませていた、耐爆テスト場の確保にメドが立ったのです。名乗りを上げたのは、カンボジアのCMACでした。