かつて地雷原だった土地が緑あふれる大地へと生まれ変わり、子どもたちの笑い声が響く。その光景を現地の人々と分かち合える瞬間に、私はこの上ない幸せを感じます。すべての始まりは1994年、商用で訪れたカンボジア・プノンペンの市場で出会った、幼い少女と膝から下を失った老女の「この国を助けてください」という言葉でした。
戦争が残した地雷は、命や夢、未来を一瞬で奪います。世界120以上の国と地域に1億個以上が残されている現実を前に、帰国後、社員6人で地雷除去機プロジェクトを立ち上げました。資金も技術も乏しい中で試行錯誤を重ね、1998年に1号機を完成。現在は世界12カ国で151台が稼働しています。
私たちの機械は、地雷除去後に建設機械としても使え、道や学校づくりを通じて暮らしの再建を支えます。根底にあるのは「使う人の側に立つモノづくり」と、「人のためになる人間であれ」という母の教えです。
少子化と技術者減少が進む日本で、「人のための技術」の尊さを伝えるため、国内外で650回を超える講演を行ってきました。この活動は利益のためではありません。開発費は莫大でも、その一台が守る命と未来があります。ニカラグアでの事故で右耳の聴力を失いましたが、土地を取り戻した人々や遊ぶ子どもたちの声は、今も心に響いています。挑戦から30年、残された時間をこの天命に捧げ、モノづくりを通して笑顔を未来へつなぎたい。支えてくれた仲間と家族への感謝を胸に、歩み続けます。


灼熱の太陽と重たい湿気に覆われたカンボジアの地雷原。そこはかつて笑い声がこだまし、家族が肩を寄せ合って暮らしていた。
しかし今では、一歩足を踏み出すことすら命がけ。そこにあるのは、「死の大地」と化した静寂。草むらに潜むのは、目に見えない「死」の罠。誰にも気づかれぬまま、今日も誰かの命を密かに狙っている。


地雷原の現実を知った私たちは、「対人地雷除去機」の開発に着手した。日本の建設機械をもとに、日々現場での試行錯誤、壊れては直し、泥と汗にまみれ「命を救う機械」へと進化させた。
なぜなら、その先に人々の「命」があるから。


命を守るためには機械だけでは不十分であり、それを動かす「人」の育成が欠かせない。
私たちは、地雷除去機を納入した国の若者たちを日本に招き、徹底した研修を行ってきた。油圧や整備の基礎から始まり、実際の操縦訓練まで、時間と手間を惜しまない。


誰も近づけなかった「死の大地」に、再び命が芽吹いている。地雷を除去した土地には農民が戻り、畑を耕し、子どもたちが笑顔で走り回る。作物が育ち、収入が生まれ、教育や医療への道も開かれる
― すべては、1台の地雷除去機から始まる。


私にとってカンボジアは「第二のふるさと」だ。この国を訪れたことで、私は地雷除去という人生の使命に出会えた。


私は、地雷で命を落とす子どもたちの現実を見過ごすことができなかった。だからこそ、日本の子どもたちの心に“何か”を伝えたいと願い、国際交流を始めた。
サッカーボールひとつで、満面の笑みを浮かべるカンボジアの子どもたち。そんな姿に心を動かされ、日本の子どもたちが描いた絵をご寄付いただいた文房具やボールとともに現地に届けたことが、国際交流の第一歩となった。


地雷除去事業は採算性のあるビジネスではない。それでも「やるべきこと」だった。命を守る機械を、命の危機にある地へ届けることこそが、私たち企業の責任だった。


2023年1月、ウクライナ国家非常事態庁(SESU)の職員9名が、JICA主催の研修で「いこいの杜コミュニティーパーク」を訪れた。地雷除去機を試乗した彼らは、「安全確保と作業の時間短縮に非常に効果が期待できる」と目を輝かせて語った。
その言葉に私は「やるしかない」と再び使命感が沸き上がってきた。


2022年、山梨県北杜市に総合教育施設「いこいの杜コミュニティーパーク」を開設した。
地雷除去機の展示や模擬地雷原の体験、サッカー場などを備えたこの場所は、平和と命の大切さを学ぶための拠点である。


2023年に「いこいの杜コミュニティーパーク」は「ピースフィールド明野」として世界で63番目の認定を受けた。
毎年、国際平和デーには交流イベントを開催し、高校生の演奏やスポーツ体験など、地域と世界がつながる場所となっている。
地雷除去機の展示や模擬地雷原の体験、サッカー場などを備えたこの場所は、平和と命の大切さを学ぶための拠点である。


「いこいの杜コミュニティパーク」は、北杜市と「災害等における協力に関する協定」および「教育・スポーツ・文化に関する連携協定」を締結し、地域との連携を強化しながら施設を地域貢献の拠点として活用します。
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