第一号機、苦難の開発秘話

第一号機、苦難の開発秘話

「この国を助けてください」
その一言が、すべての始まりだった

私たち日建が、地雷除去機の開発を始めたのは1995年のこと。そのきっかけは、会長の雨宮清がカンボジアで出会った、あるおばあさんの一言でした。プロジェクト立ち上げから、カンボジアの地雷原での稼働まで、5年以上の歳月を費やした第一号機の開発。その道のりは、平坦なものではありませんでした。

「そうだ、地雷除去機を作ろう」
帰りの飛行機の中で、心は決まった

1994年7月―。日建の会長・雨宮清は、20年にわたる内戦が終わったばかりのカンボジアにいました。

以前から、東南アジア向けにトラックや建設機械の輸出を手がけており、復興にあたってそうした機材への需要があるのではないかと考えての渡航でした。

しかし、そこで雨宮は思いもしなかった出会いを経験することになるのです。

ある日訪れた、首都・プノンペンのセントラルマーケット。そこは、内戦で行き場をなくした何万人もの避難民であふれかえっていました。戦場で負傷した人々、物乞いをしている子どもたち。雨宮は、ひとりのおばあさんが木の下に横たわっているのに気付きました。顔にやけどを負い、ひざから下を失い、そばには裸同然の姿でガタガタと震える幼い娘を連れています。

同行してくれた現地の人に、地雷で片足を失い、この子の両親も亡くなったのだと聞かされました。クメール語で「オックン、オックン」(ありがとう、ありがとう)と繰り返すおばあさんに、雨宮はただ1ドル札を握らせることしかできませんでした。

首都:プノンペンのセントラルマーケット

1994年 プノンペンにて

そして彼女は、すがりつくような目でこう言ったのです。

「あなた、日本人でしょう? この国を、助けてください」

豊かな日本からは想像のできない、悲惨な現実。雨宮は、胸のつぶれるような思いを抱えながら帰途につきました。

日本へ向かう飛行機の中でも、その光景は頭から離れませんでした。浮かぶのは、「自分に何かできることはないか」という思いばかり。地雷という悪魔の兵器を地上からなくすためにはどうしたらいいだろうか―。
技術屋の自分にできるのは、「地雷を取り除く機械」を作ることだ。
その決意は、いつの間にか強い使命感へと変わっていきました。

手探りで試行錯誤する6名の開発チーム
見えてきたカンボジアでの地雷除去の難しさ

当時、カンボジアで行われていた地雷除去はすべてが手作業でした。成長した草木をハサミやノコギリで伐採し、探査器で探査を行うのですが、金属破片でも反応してしまうことがあり、地雷と金属の判別が難しいのです。一つひとつ指し棒で地雷を確認し、水をまき、ハケで土を除いて露出させ、小さなスコップで地雷を掘り起こします。ひとりが丸一日かけて作業をしても、わずか5~10平方メートルの広さしか除去できません。カンボジア全土に埋められた数百万個の地雷すべてを除去するまでには、気が遠くなるほどの時間がかかってしまいます。

ハサミやノコギリで草木を切る

探査器で地雷を探査

ハケやスコップで土を取り除く

一つひとつ地雷を掘り起こす

日本に戻った雨宮は、すぐに社内で地雷除去機開発プロジェクトチームを結成します。当時、地雷除去機と銘打った機械を作っている海外のメーカーもありましたが、性能も信頼性もまだまだこれからといった状況でした。

誰も見たことのない、本当に役に立つ地雷除去機を、自分たちの手で作り出そう―。そう決意はしたものの、プロジェクトを率いる雨宮自身、地雷どころか爆弾や火薬の知識もゼロ。何から手をつけたらいいのかすらわからない、手探りのスタートでした。プロジェクトのメンバーは、建設機械整備技術スタッフのスペシャリスト6名。通常業務の合間を縫うように、深夜や早朝に集まっては意見を出し合い、ミーティングを重ねていきました。

そんなある日、雨宮の頭にひとつのイメージが浮かびます。子どもの頃に田んぼで父の手伝いをしているときに目にした耕運機や脱穀機。あの独特な動き方は、地雷の埋まった土を掘り返すのにうってつけなのではないか。

「いけるかもしれない」

寝るときは広告チラシの束を傍らに置き、思いつくたび裏にアイデアデッサンを書き留める。地雷除去に詳しい人がいると聞けば、国内海外問わずに訪ね歩く。そんな試行錯誤の日々が始まりました。

開発当初に描かれたカッターのアイデアデッサン

日建社内での開発作業と並行して、翌年からは現地での調査を開始しました。カンボジアで地雷除去をおこなっている、カンボジア国政府「カンボジア地雷対策センター(CMAC)」。その拠点である、カンボジア北西部のバッタンバン州へ何度も足を運び、地雷原付近の住民たちと寝食をともにしながら研究を重ねていきました。

彼らの話を聞いてみると、「カンボジアでの地雷除去作業の7割は、草や木の除去に費やされる」ということがわかりました。植物が豊かに生い茂るカンボジアでは、潅木(かんぼく)などの下に地雷が潜んでいて、農夫が地面を耕そうとして鍬(くわ)を入れた瞬間に地雷に触れて爆発してしまうというのです。

重要なのは、地雷を除去する前にまず草木を伐採し、地雷を探査しやすい状態にすること。
さらにもうひとつ、もっとも大切なことは、土地を掘り起こして農地を作ることでした。

カンボジアの地雷原に暮らしている人の多くは、土地を借りて耕作をし、生計を立てていました。彼らは、地雷の埋まった危険な土地しか与えられず、とても貧しい暮らしをしていました。

自分たちが作るべきものは、単なる便利な機械ではない。カンボジアの人々が安心して土地を耕し、家族みんなで幸せに暮らしていくための機械なんだ―。

現地に何度も足を運ぶ雨宮の中に、そんな思いが強く芽生えていました。

現地へ何度も足を運びCMACスタッフと地雷原調査をする雨宮

地雷原の中にある住居

地雷原に住んでいる人々とも積極的に交流を